沿革
1882年から始まる物語
村の小さな鍛冶屋から始まり、現在の世界をリードするプロ向けプライヤーのスペシャリストに至った当社の135年以上にわたる軌跡を、当社の発展の節目と共にご覧ください。
2020
ユーザーの新しいニーズには新しいツールが必要です。36年の歳月をかけて進化を続けてきたKNIPEX Cobra®シリーズには、さまざまなサイズや特殊タイプがあります。最新の製品はKNIPEX Cobra® XSで、全長わずか100mmという小さなサイズながらフル機能を備えたウォーターポンププライヤーです。この小さなプライヤーはズボンのポケットに入れて持ち運んだり、自転車やバイクの車載工具としても最適です。
2019年
KNIPEXは長年にわたり、さまざまな方法で持続可能性の問題に取り組んできたことから、名誉ある「ドイツ・サステナビリティ賞2019 中規模企業部門」を受賞しました。この賞は「模範的な経済的成功と社会的責任・環境保護を両立し、持続可能社会を実現するアイデアを特別な方法で推進する」企業を表彰するものです。
2018年
KNIPEXは本社ヴッパータールに約1,200人、グループ全体で約1,900人の従業員を擁しています。生産スペースとオフィススペースが増築されており、自動鍛造工場を含む追加の機械とシステムに大規模な投資が行われています。
2017年
2017年にオスナブリュックにあるソフトウェア会社LMISが、KNIPEXグループの新たなメンバーに加わりました。KNIPEXが同社の過半数の株を取得し、特殊な「ツール」であるプログラミングとデジタル技術にスキルをもたらします。 将来的にますます重要となる情報技術に、KNIPEXが直接関わるための重要な一歩となりました。
2016年
KNIPEXは2016年に、世界的な技術革新であるユニバーサルストリッピングツール「ErgoStrip®」を開発しました。 3つのケーブル処理ツールを1つに融合させ、ユーザーが素早く効率的に作業できるようにしました。
KNIPEXは電気設備用ツールの分野における専門知識を更に広げます。
2007年
KNIPEXが創立125周年を迎えました。
過去10年間で売上高は倍増、当時800人の従業員が毎日45,000丁のプライヤーを製造しており、世界100ヶ国以上で販売されています。 KNIPEXは世界を代表するプライヤーブランドになりました。
2003年
2003年にアーハウス/ミュンスターランドのORBISがKnipexグループの一員となり、2006年にはノイシュタット/ヘッセンのWILL社も加わりました。この二社は従来、顧客のブランドでプライヤーを製造しています。
1996年
1987年に入社したラルフ・プッチが、会社の経営全般を引き継ぎます。国際的なビジネスシェアは持続的に拡大し、現在では60%以上に達しています。 1998年にはモスクワにKNIPEXの営業所を開設しました。以降は子会社がアメリカ、中国、ドバイ、日本、メキシコ、ブラジル、インド等に設立しました。
1994年
「プライヤーレンチ」が開発されました。平行なアゴとラチェット機構を備えた全く新しいツールで、デリケートな表面も優しく掴みます。
1991年
チューリンゲン州のRennsteig-WerkzeugeがKNIPEXグループに加わりました。
この加入により、ケーブルの切断、ストリッピング、圧着の分野でKNIPEXの製品ラインナップも大幅に広がります。
翌年Rennsteigは、打撃ツールを含む製品群でヨーロッパをリードするサプライヤーとなりました。
1988年
コンパクトボルトカッター「Cobolt®」が発売されました。高度な力伝達により、使用者の握力が最大20倍に増幅されます。またシンプルで非常にコンパクトなデザインとなっています。
1984年
KNIPEXは「Cobra®」を開発しました。ボタンを押すだけで素早く、細かく位置調整ができるウォーターポンププライヤーです。
1973年
革新性が一際重要視されてきた頃に開発された「Aligator®」は、掴み工具分野におけるプライヤーの画期的製品となりました。丸型・角型のワークピースを等しくしっかりと掴むことのできる、新しいタイプのウォーターポンププライヤーです。ハンドルを押し込みながら使用する必要がなくなり、アゴにはセルフロック機能があります。
1954年
創設者の孫であるカール・プッチが、会社経営を引き継ぎます。情熱的なエンジニアであった彼は製造工程を近代化、製品の幅を拡大します。 カールと1951年に入社した妻のイルゼは、ヨーロッパ市場をリードする企業へと発展させました。
1942年
カール・プッチが「KNIPEX」ブランドを立ち上げ、登録します。それまで使用していた地元で一般的に使われる姓よりも、特徴的なブランド名となりました。
1922年
息子のカール・プッチは父の死後に会社経営を引き継ぎ、1927年には27人の従業員が既に週約7,000本のプライヤーを製造していました。鍛冶屋は小さな工場に成長しました。
1882年
カール・グスタフ・プッチが職人一人と見習い二人と共に、プライヤー専門の小さな鍛冶屋をクローネンベルクに設立しました。
当時は大工・蹄鉄工プライヤーの鍛造を彼の自宅の地下室で行っていました。